You
きっかけはただ、なんとなくだった。
久しぶりに会いたいな、とかあいつ元気かな、とかそんなもんだった。
だからあいつを地元の祭りにかこつけて呼ぶことにしたのだ。
こうして僕の夏は少し遅れた梅雨の雨と共に始まろうとしていた。
1.愛のプレリュード
そもそも僕とあいつの出会いは小学校6年生……今から11年前に遡る。
たまたま隣の席にいて、脇腹を小突いてきたりだとか、殴ってきたりとかでからかってきたのだ。
最初はなんだこいつ、と思っていた。いきなり暴力を振るってくる相手に対してそう思うのは当然だろう。
話しているうちに気がつけば仲良くなって、お互いにアニメが好きなこともわかった。
『エヴァ』だとか『ハルヒ』、『ひぐらし』なんかの話をしていた覚えがある。今でもそれらの作品を観ると当時を思い出す。
その頃の僕には好きな相手はいなかったのだが、いつだったか友人に「あいつのこと好きなんじゃないの?」と言われて意識するようになった。それが始まりだった。
中学も同じ学校に進み、小学校の時から特に変わらない仲だった。
スカートを全く履かない、履きたくないと言っていたあいつが制服でスカートを履いていたときのことは今でも覚えている。心底可愛いかった。
スカートでしおらしくなることもなく僕の生徒手帳を盗んで中庭で鬼ごっこ始めたりだとか、僕の股間を蹴り上げたりだとかしていたけども。
そうこうしているうちに僕の中であいつの存在はどんどん大きくなっていった。当時好きだった『ハルヒ』に僕とあいつの2人を重ねたりもした。恥ずかしい話だ。
そんなこんなで中学2年の夏祭りの日。僕はあいつに告白することを決めた。
結果から言えば失敗だ。呼び出したはいいものの何も言えなかった。
あいつは何もないんなら帰る、と帰ってしまい、僕はその場に残された。
友人達の元へ向かい慰められたりラブプラスを起動したら急に起動できなくなったりしたのはまた別の話。
とにかく、それが1回目の告白だ。来年で10年目になる。
2回目は中学3年だったか。校舎の階段に呼び出したが、その時も言えなかった。あいつはまた怒っていた。
中学を卒業し、高校に上がるとあいつとは別の高校に進学することになった。
それでもあいつとたまにメールだったり話したりはしていた。
中学に比べると会うことはもちろん少なくなったし、僕も僕で別の相手と付き合ったりもした。
このまま程よい友達でいられたらいいや、そう考えていた。
だけれどそれは無理だった。3回目の告白をした。高校3年のことだ。
2回呼び出して何も言えなかった僕は、地元の夏祭りの後カラオケに友人と行きそこでメールで想いを伝えた。
答えはノー。正直諦めていたし、そうだろうなと思っていた。
今度こそ完全に決着がついてもう何もないだろう。そんな風に日々を過ごし、就職を決めた11月の話である。
友人の家にいた僕に連絡がきた。送信元はあいつだった。何の用だと思い、パンドラの箱を開くような気持ちで内容を確認した。
そこにはこういった内容が記されていた。
「私は君のことが好きだと気付きました」
友達と遊んでいたカードゲームの手が止まりかけた。おぼつかないような手でカードを置いて返信する。
もちろん答えはイエスだ。
だがここから別れるまでの数ヶ月、手を繋ぐことはおろか一回も会わずに別れを切り出された。
会えなくて寂しい、だとかやっぱり合わないね、とかではなく急な別れであった。理由は、わからなかった。
そして別れてからも僕はしばらく会うことも連絡を取ることもなかったのだが、ある時急にカラオケに行くことになった。
2人きりではなく共通の友人込みだったし、会いたかったからもちろん行った。
昔のように騒いで笑って、なんだかんだで楽しくやれた。なんで告白したの、とは聞けなかったが。
そこからは2年後の成人式まで連絡もせず会うこともなかった。成人式でもいつも通りだったし、ああこれならまた仲良くなれるななんて頭のどこかで思っていた。
いつかまた関係を戻して前みたいに遊べたらいいな、そんなもんだ。
2.キスしてほしい(トゥー・トゥー・トゥー)
前置きが長くなった。計10年以上の付き合いとなればそれは長くもなる。
話を現在に戻そう。
去年も祭りにかこつけて呼ぼうとしたのだが、当日急に呼んだため来なかった。
だから今年は前もって連絡をしておいた。祭りにくるやつ集めてるけど来ないか、と。
答えはイエス。快諾だった。
そこから1週間近く、とにかく気が気でなかった。仕事も手につかなければ酒の量は増えた。
あいつに会える。それだけで少年時代のように胸が高まっていた。
当日に近づくにつれあいつのことを好きな自分に気がつき、もう一度だけ告白しようと決めた。
青春の決算だ。さっきも言ったが、面と向かって言えたことがなかった俺に対するケジメだ。
4回目の告白。人生で同じ相手にこんなに告白することはそうそうないな、と自分を笑った。
それだけ好きなんだということを改めて実感し、いよいよ祭りの当日を迎える。
3.冒険でしょでしょ
よりによって当日は仕事で、天気は雨でその上残業だ。
祭りの会場も閉まってしまうだろう。
今日は会えないかもしれない。それは……何故かとても悔しかったのでまず連絡を取る。
祭りの会場は閉まるだろうし店で飲もう、駅にこの時間に来てくれたら助かる。
そう伝えるとわかった、と言われた。いよいよ逃げ場がない。
友人2人を呼んでいたので、彼女含め4人で飲んだ後呼び出そうと決めていた。
仕事が終わり次第電車に乗り込んだ。果たしてこれは地獄行きか、天国行きか。それとも。
2年と少しぶりに彼女と再会する。そのことだけで、胸の高まりが抑えられなかった。どんな姿になったのだろうか、どんなことがあったのか、何を話そうか。駅が近づくにつれ鼓動は高まる。
たった5分の乗車時間はいつもの倍以上に感じられた。
電車の中でもあいつと連絡していた。久しぶりの連絡だというのに、昔のようになんでもない会話が繰り広げられていた。祭りに向かう。あいつに会う。本当に会うのだ。あの時と同じだ。
いまいち実感のないまま駅の階段を降りると、そこにあいつはいた。なんだか前より色っぽくて、だけど昔のままのあいつがいた。
「よう」
そう言った僕の顔を見るなり笑って「お前本当変わってないな」、そう言われた。お互い様だ、俺は太ったけどな。太ったなんて話題はやめろ、なんてまたしょうもない話をした。
「大学に行ってから昔よりも性格とかやばくなったよ」なんて言ってやがる。僕はそういうお前が好きだった。
そんなことはまだ言えない。今じゃない。
友人と連絡を取るフリをして待ち合わせまで時間を稼いだ。少しでも2人きりで話したかった。
「じゃあ行くか」、そう言って駅前の道を並んで歩き始めた。こうやって歩くだけでも幸せだ。電車に乗っていた時と時間の流れは真逆で、瞬く間に待ち合わせのコンビニについた。友人たちと合流し、2人だけの時間は終わりを告げる。
友人たちともまた、昔と同じような笑い話をしながら飲み屋へ赴いた。彼女は僕の右隣に座った。友人が気を利かせてくれたのだ。そういや酒は飲むのか、と聞いたら、とりあえずうちもビールで、と返答された。
一緒に酒を飲む日がくるなんて思わなかったのですでに泣きそうだった。改めてこれまでに経過した年月を実感した。
酒が入った後も、昔の話や恋人の話なんかをしていた。口は止まらない。
共通の知り合いの悪口で大いに盛り上がり、僕のかつての恋人のことで盛り上がった。酒の悪戯だろうか、やたらと色っぽく、可愛く見えた。前より大人になった口元や胸元を見てしまい、ドキドキが止まらなかった。酒に酔わされているのか、あいつに酔わされているのか。両方だろうな、と顔が赤くなる。
彼女がトイレに行った瞬間に思わず友人に「あいつ可愛すぎるだろ」とそう言ってしまった。友人は笑っていた。
僕がこいつを好きで、周りはそれを知っている。中学のときそのまんまの光景だ。「カラオケに行きたい」と彼女が言ったので、それに従った。2人きりになりたかったが、これはこれでいいだろうと思った。
「男と今から徹夜でカラオケ行くって言ったら親に避妊はしろって言われたけどさ、そもそもお前ら男として見てないからな」
おいおい、そりゃないぜ。
4.僕の歌を総て君にやる
店を出ると雨が降っていた。友人の傘を彼女が借り、僕はそれに入れてもらった。相合傘だ。肩と肩がぶつかる。溶けて混ざりそうなぐらいに距離が近い。
コンビニまで歩いてタクシーを呼び、僕の家の近くにあるカラオケへと向かった。彼女は前の席に座っていた。そりゃ男に挟まれたくはないだろうしな。いや、そんなことは気にしない性格だったか。
カラオケは1時間と少し後での案内とのことで、それまで僕の家で待つことになった。好きだったこいつが、友人付きとはいえ僕の家に来る。全く予想してなかった出来事に心臓がさらに高鳴る。
家の近くのコンビニまで飲み物を買いに行き、あいつが「これ美味そう」と言ったジュースを買ってやった。
一口ぐらいもらえばよかったが頭が回らなかった。
家では、昔に戻ったようにはしゃぎながら4人でゲームをした。心底楽しかった。しかしこの時間もすぐに終わり、俺たちはカラオケへ向かった。
「こいつの喉枯れるまで歌わせるから」、彼女にそう言われたからには乗るしかない。『MaybeBlue』、『ByeByeMyLove』、『真夏の夜の夢』……。僕が大好きなラブソングを、ありったけの想いで歌った。
「『ライオン』をデュエットしよう」、そう前もって決めていたので2人で歌うことにした。まだ喉が、という彼女の言葉に甘えて心の準備をしていた。僕がランカであいつはシェリル。2人で初めてのデュエットだった。そのことだけでめちゃくちゃに嬉しくて、正直歌どころじゃなかった。楽しそうにしている彼女を見るとそれだけで満たされていった。
カラオケでも隣に彼女は座っていて、時折肩がぶつかった。腕を伸ばせば抱きしめられる距離だった。右腕を伸ばしてみたら肩に当たって、そのまま抱きしまることができる一歩寸前だった。彼女の歌や笑う声や顔や大人びた体その全てが僕を虜にして離してくれなかった。
ずっとこいつに酔っていた。いくら気合を入れて歌ってもこいつのことしか頭になかった。
「こいつのマイク呪いのマイクだから。使うとなんか憑依されるよ」そう言って僕のマイクを頑なに使わない彼女。なんだよそれ、なんて言うと普通に使い始めた。ああ、このノリ、昔のままだ。
持っていた酒を飲んでそのまま「やるよ」と誘ったが、あいつは飲んでくれなかった。間接キスにはならなかった。僕は告白の練習だと言わんばかりにラブソングや思い出のアニメソングを歌った。あいつは米津やボカロを高らかに歌っていた。その姿は愛しくて仕方なかった。
楽しかった時間はまたも終わりを告げる。最後の曲は『明日晴れるかな』で締めた。このあと僕以外の三人はタクシーで一緒に帰ることになる。僕は家まで歩けばすぐなので、そのタクシーに乗る必要は全く無かった。むしろ乗る方が無駄だ。
だけどまだ言えていない。
想いを伝えられてない。
このまま帰るわけにはいかない。
5.今でも君を愛してる
「タクシー乗るよ、どうせ暇やし」
そう言って迎えに来たタクシーに乗り込んで地元の駅で降りた。行きのタクシーでは前に座っていた彼女は今度は僕の隣に座っていた。また肩が当たった。柔らかかった。心臓が爆発しそうだ。
何を話したかは酒と眠気で忘れてしまったが、気がつけばタクシーは地元の駅に着いた。友人2人のうち片方はバイク、もう片方は徒歩で帰ると言ったので、その場で別れを告げた。ここから先は、本当に2人だけの時間だ。
深夜4時過ぎの駅前商店街は正真正銘僕たち2人だけだった。このままこの時間だけをガラスケースに入れて飾ってしまいたいぐらいだった。ずっと眺めていたかった。
雨はまだ止まない。むしろ勢いを増している。僕の傘に彼女を入れて2人でコンビニへ向かった。またしても相合傘だ。狭っ苦しい傘に2人入ってしょうもない話をして笑っていた。行きと同じ道を、同じように歩いた。コンビニであいつは大きめの傘を買った。1296円。金を出してやるのを忘れていた。
雨はさらに強くなっていた。後で知ったが、避難警告レベルの豪雨だったらしい。タクシーを使うか聞かれたが、僕は無理にでも歩くことを選んだ。「送ってやるから。だから歩こう」そう言った。彼女はついてきた。
2人で雨の中を歩き始めた。この歩みは一体どこへ向かうのだろうか。どこまで歩けるのだろうか。
「やっぱタクシー使えばよかったじゃん」なんて言われながら歩いていた。いいじゃんここまできたら、と誤魔化しながら心臓の高鳴りはピークを迎えていた。
ここで言おう。そう決めて橋を渡ったところで意を決した。
「あのさ」
「なに」
「お前が好きだからここまできたんだよ」
6.Raining
雨が一層激しくなったような気がした。初めて面と向かって自分の口で好きだってことを伝えた。わかっていたのかそうじゃないのか、「あっ、うん」そんな反応をされた。
降り注ぐ雨のように、口はどんどん言葉を紡いでいく。
「あのさ、ずっとお前のこと好きだったよ。今日呼んだのもさ、こうやって言いたかったからだよ。ここまできたのもお前と話したかったからだよ」
「でしょうね」
おいおい、わかっていたのか。と思いながら、さらに言葉は紡がれる。
「今までいろいろな相手と付き合ったよ。それでもお前が一番好きで、お前じゃなきゃダメなんだ」
「なわけない。もっといい人がいるよ」
「だってさ、来年で10年だぜ?初めて告白しようとしてから……覚えてるだろ?」
「……そっちが呼び出したくせに、何も言わなかったね」
「だから今、初めてこうやって言ってるんだよ」
「でもさ、うちみたいなやつよりもっといい人と付き合った方がいいよ。絶対いるから。お前には絶対いるから」
「それでもお前が好きなんだ」
好きという思いが言葉の形を得て口から走り出して行った。もう止められなかった。
「申し訳ないんだけどさ、うち、人のことどうしても好きになれないんだ。わかってても受け入れられない。人を信じられない。だから、ごめんな」
「だったらなんで高校の時告白したんだよ!」
ずっと聞きたかった質問を投げかける。
「人を好きになれるかなって思ったんだよ。でも無理だった。お前なら好きになれるかなって思ったけど無理だった。だから、わざと嫌いになるようにひどくフったんだ」
「でも……それでも好きだよ」
「お前、馬鹿だな」
「馬鹿だよ」
「うちのこと、嫌いになってくれたらよかったのに」
「嫌いになんてなれなかったよ。人を好きになれないならさ、今から好きになってみたらいいじゃん」
「無理だよ」
「だってあの時、一回も会わなかっただろ。今からだよ」
「無理だって」
「あのさ、理由はどうあれ好きになろうとしてくれたの本当に嬉しいんだよ」
「うん。でも、嫌いになったでしょ」
「ならないよ。全部含めて好きになってるから」
「……本当に馬鹿だなあ」
わかってるよ。
わかっていて馬鹿は歩みを止めなかった。
このままどこまででも歩いて行きたかった。
7.真夏の果実
「そこ、水たまりあるぞ」
もうどこが水たまりかなんてわからないのにわざわざそう言った。ずぶ濡れの田舎道を歩き続けた。道が悪いせいで足元は水まみれで、おまけに豪雨で服も散々濡れている。
道の先に見えるカーブミラーに着いたら、はっきり伝えようと決めていた。
「あのさ、一緒になって、そっから考えるのはダメなのか」
雨のせいで届いていないのか返事は聞こえない。
「なにー!?」
叫ぶ彼女の傘に入ってもう一度言った。
「付き合ってから、考えよう」
「それは無理。好きって言われるのが苦しいんだよ。うちをこれ以上苦しめないで。トラウマにしないで」
「ごめんな」
「どうしても人が好きになれない。うちは家庭も普通で親からもまともに愛情もらってきたけど、それでも人からの好意を受け取れない」
ああ、ちゃんと僕のこと知ってんだな。知ってくれてるんだな。
交差点で「こっち」と彼女が言った。もう少しであいつの家に着く。この時間は本当の終わりを告げようとしている。酒を飲み、はしゃぎ、2人で濡れながら肩を並べて話しながら歩いた夢のような時間はもう終わってしまうのだ。
だから、どうしても言いたかった。伝えたかった。
「馬鹿だからそれでも好きだよ。……嫌いか?」
「嫌いじゃない。友達としては好き。好意を持とうとしたこともある。でもやっぱりダメだ」
「そうか」
友達として好き。友達として、と前置きがあっても好きと言われると苦しかった。受け止めきれなかった。どれがこいつの家なんだろう。そういや家も知らなかった。このまま着かなきゃいいのに。
そう願う僕の気持ちと反対に彼女は一軒の家の前で立ち止まった。
8.カウントダウン
その瞬間は来てしまった。
「じゃあ、うちここだから」
行かないでくれと願うも、彼女は無慈悲に言葉を続ける。
「こっからまだ歩くんでしょ?その傘じゃ濡れるからこっち使いなよ。貸すから」
「なあ、話を聞いてくれ」
「なに」
「お前のことが本当に好きだ」
「うちは無理。受け止めきれない。人を好きになれない。じゃあね。ごめんね」
「傘、ここで借りたらお前が濡れるだろ。玄関まで行くよ」
拒否はされなかった。少しだけ時間が伸びた。あとわずか数歩で家に入ってしまう。
「じゃあはい傘」
「待ってくれ」
思わず肩を掴んで呼び止めた。彼女の目を見て最後に聞いてくれ、と言おうとした瞬間だった。
「近寄らないで、来ないで」
目をそらされた。さっきまでとは違う声だった。本気で怒っていて、泣きそうな声に聞こえた。完全に拒絶されたのだ。
心からの拒絶だった。
「もう帰る」そう言った瞬間に家の電気がついた。彼女の祖母がドアを開けたのだ。
「あー、おばあちゃん。あのさ、結局歩いて帰ってきちゃった。この人にここまで送ってもらったの」
「あ、どうも。タクシーなかったし方向一緒だったんで……」話を合わせる。
「そうですか。風邪ひかないようにね」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあはい、傘」
彼女が渡そうとする。受け取りたくない。受け取ってしまったら帰らなくちゃいけない。終わらせたくない。
「傘2本もいらないよ」
「ならそれと交換で」
「わかった、じゃあこれは今度返す」
「返さなくていい。じゃあね」
「待ってくれ、濡れた上着1枚だけ脱がせてくれ。風邪引くから。支度したら行くよ」俺はなんとかして時間を稼ごうとした。
「今日起きたら出かけなきゃいけないからお風呂入るの。早く行って」
強い語気で返す彼女に、「わかった。すぐ出て行く」と返さざるを得なかった。
「……じゃあね」
「…おう、またな」手を振って別れた。
祖母がいる以上、次の言葉は紡げなかった。
そっけない別れの挨拶をして玄関を後にした。
直接会話をしたのは、これが最後だった。別れを告げるその顔はまるで、仇敵を見据えるようだった。
9.祭りのあと
ドアは無慈悲にも閉められ、1人雨の中に取り残された。あいつのくれた傘が雨から俺を守ってくれたが、心の雨までは守ってくれなかった。豪雨だった。
家の近くで立ちすくんで、座り込んで、どうにもならなくなった。ここにいたらもしかしたらあいつが追いかけてきてくれるんじゃないか、なんて思った。もちろんそんなことはなく、僕はまた歩き出すしか選択肢はなかった。もう隣に彼女はいないのに。それでも歩き出さなきゃいけない。そう人に言ったのは俺だったのに。
散々全身が濡れていた。顔を濡らしているのは雨か涙かもうわからない。
どこにいけばいいのかわからず歩いていると、友人が迎えにきてくれると言ったので待つことにした。
豪雨の中待っていると車が着いた。
「すげえ濡れてんな」着いた友人は会うなりそう言った。
「そりゃこの雨だからな」精一杯返事をする。
「風邪、引くなよ」
「そうだな」
少しの間、沈黙が流れた。覚悟を決めるための猶予だったのかもしれない。
「……あのさ」窓を打ち付ける雨音を遮って、語り始める。
「フラれちまったよ。完璧にフラれた。あいつを好きになるとあいつは辛いんだってさ」
「そっか。お前はよくやったよ」
よくやった。友人のその一言で、ためていたものが全て溢れてきた。さっきまで言葉として溢れていた感情は今は涙という形でしか出てこなかった。
「あいつのこと本当に好きだったよ。好きだったんだよ。でもあいつは無理なんだ。好意を寄せるのがあいつにとって苦痛ならどうしようもないんだ」必死の思いでどうにか言葉を紡いだ。友人は黙って送ってくれた。
家に着くなり家に入り、風呂に入る気力すらなく、部屋で泣き崩れた。タオルだけはしっかり引いたけれど、濡れた服を干す気力なんてどこにもなかった。それでも眠れなかった。
10.アウェー・イン・ザ・ライフ
とにかくあいつに連絡を取ろう。その一心でLINEを開いた。
『傘、返すよ』
『いらない』
『返させてくれよ』
『いらない』
『そっか。なら使うよ。お陰で助かった。』
『そう」
『こんな時間まで付き合わせてごめんな。』
そのあと少し待ったが、返事はなかった。俺は諦めて眠りについた。
だが目覚めても返信はなかった。
『風邪、ひいてないか』
もうなんでもいい。返事をくれ。また話させてくれ。藁にもすがる一心で言葉を送った。
『ひいてないです』
返事は来た。そっけないにもほどがある返事だ。
『落ち着いたらまた会って話そう』意を決して送った。またさらに1時間ほど経った。返事が来た。
『私はもう会いたくないです』
ああ、全てが本当に終わろうとしている。
11.愛のささくれ~nobody loves me
「それくらい怖かった。もう会いたくないし友達にも戻りたくない」
彼女はこれまでの沈黙が嘘のように言葉を紡ぎ始めた。それはまるで、豪雨の後のダムの決壊に似ていた。
心の中に言葉の津波が流れ込んでいく。謝って許されるわけがないとわかっていても謝り続けた。
『許さないから謝らなくていい』
『言わなきゃ友達でいれたのかな』
『言ったことは怒ってないけどやったことは許さない』
『そのまま帰ればよかったな』
『そうね』
会話を終わらせたくない、その一心で必死に想いを綴った。本当は面と向かって言いたいことを全て文にして送った。ここで終わったら本当に全部が終わる。あの時間はもう二度と来ない。あいつを抱きしめることだってできない。
『後悔するのならそれはそれでいい。でも私は心変わりしないのでもう言ってこないで』
下されたのは、残酷な一言だった。次が多分ラストチャンスだろう。そう思って一番言うべきだったはずの言葉を送った。
『僕にとって一番大事だったよ。本当にありがとう』
既読はつかない。もうアカウントはブロックされていた。最後の言葉は、あいつに届かなかった。
昨日お互いにフォローしたツイッターも、あいつはすでにフォローを外して鍵をかけていた。今はもうブロックされ、完全にすべてを切られている。あれだけ昨日ツイッターの話で盛り上がり、隣にいるのにリプライしたりしたのに、その終わりはあまりにもあっけなかった。
ツイッターのホームには返信が見えないリプライだけが残された。相手を見ることもできない。もう言葉を伝えることはできない、あいつからの返事なんてないんだぞ。そう告げられているようだった。
12.Bye Bye My Love (U are the one)
そうしてすべてが終わった。他愛のない話も、少し大人びていた姿も、歌声も、触れあった肩も、笑い顔も笑い声も、思い出もなにもかもがもうすべて手の届かないところに行ってしまった。あそこで追いかけずに「じゃあ、またな」なんて言っていれば、きっとこうはならなかったんだろう。あいつに怯えられることもなかったんだろう。俺は好きな人間に好意という名の暴力を振るって恐怖を与えてしまった。
「うちのこと嫌いになってくれたらよかったのに」と彼女は言ったが、今はもうまったく逆になってしまった。
僕は一生この後悔を抱えて生きていく。あいつは俺のことを忘れてくれるだろうか。許してはくれないだろうな。またどこかで会えるかな。今は泣きたくても泣けなかった。雨は止まっていた。今朝みたいな雨なら泣けていたのかもしれない。涙を覆い隠してくれる雨はもういなかった。
10年のすべてが今、終わったのだ。僕はあいつといたかった。その気持ちがあいつを傷つけてもう二度と戻れなくなってしまった。言えなかったあの頃と、言い過ぎてしまった今。どちらが正しいかなんて正解はありはしないけれど、少なくとももう戻れないことは確かだろう。もうどうにもならないんだ。改めて文にして実感した。
それでも泣けなかった。泣くことすら俺には許されなかった。
部屋を出てリビングに出たら昨日ここにあいつがいたことを思い出してしまうから、リビングにすら行きたくなかった。家の前の道ですら、あいつと歩いたことを思い出してしまう。もう取り戻せない美しい思い出が、場所が、全てが責め続ける。もしかしたらあいつもこんな気持ちだったのかな、と思った。
今更気づいてもどうにもならないのに。
13.いつか何処かで (i feel the echo)
青春の決算をするつもりだったのに残ったのは心残りだった。
あいつとの関係は消えてしまった。
思い出は残ったけれど、決して許されない後悔も一緒に残った。
あいつの姿も脳内に残り続ける。
手に入りそうだった夏の幻が別れを告げずにフッと消えた。
じゃあな。大好きだったよ。まだ大好きだよ。また会おうな、なんて言ったけど会えないんだろうな。合わせる顔もないな。でもいつかどこかで、お互い心の整理ができたら会ってくれよ。そしたらまた酒でも飲んで話そう。いつかまたどこかでなんて許されることじゃないとわかっているけど、それでも、それでもいつかまた。
大好きだったよ。僕の一番好きだった人。僕の青春の全て。
今まで本当に、本当にずっとありがとう。
ごめん。さようなら。