鬱満足VS自殺防止センターVSダークライ
ツイッターの広告とかでやたら出てくる自殺防止センターくん。
やたら出てくるのはいいものの本当に効果があるのか、ちゃんと対応してくれるのか疑問ですよね。
僕はこのところ今すぐにでも死にたい状態だったので昨晩(正確には今朝)かけてみました。覚えている範囲で流れを記します。
開戦
記載されている番号にかけても一向に繋がらない。フリーダイヤルの方の番号にかけたら一発で繋がった。
この時点で諦める人も少なくはなさそうだ。そもそもそれだけ自殺したい人間がいる世の中がおかしい。
やっとの事で繋がると電話をかけた理由などをざっくりと聞かれる。
「自殺を考えてるんですけど広告で出てきたのでかけました」といった旨のことを伝える。
こちらの状況を伝えると反応をくれる。「はい」「ええ」ではなく「うん」「そうなんだ」と良く言えばフレンドリー、悪く言えば馴れ馴れしい感じ。とはいえ機械的よりはよっぽどマシだ。
話の内容としては「なんで電話をかけたか」「今どういう状況か」「どうして死のうと思ったのか」といったことがメインだった。
僕は小学校2年生頃に最初に死にたいと思って以降何度も死にたくなったことがあったのでそういうことを話した。
家庭環境が苦痛だったことも話し、大学に行けなかったことなども話した。
参考過去記事
satisfaction0721.hatenablog.com
こちらが何か話すたびに反応をくれるし共感もしてくれる。結構嬉しいのは嬉しい。
だが具体的な解決案は出なかったし30分ちょっとしたところで「次の人がいるから」といった感じで終話してしまった。
もちろん具体的な解決案を出すのが正解ではないし、解決案を提案してそれで失敗したら向こうが責任を感じてしまうのでわかっていたことではある。
窓口の方も言っていたが、あくまで第三者なのである。お互いに顔も知らなければ名前も知らない他人なのだ。
電話が終われば関わることも無いし、またかけたとして同じ人とは限らない。あくまでその場限りの話し相手である。
こちらが話した範囲の情報に対して反応をくれるし、余計なことを深くは聞かない。自殺や悩んでいることが正しいとも間違ってるとも言われない。
こういう窓口のあり方としては妥当だしなにも間違っていない。
僕も止めて欲しかったわけでも死んでしまえと言われたいわけでもなくただただ話したかっただけだ。
ただ逆に言ってしまえば「死のうが生きようが僕たちには関係ないけど話は聞きますよ」といった状態でもある。ひねくれすぎているけれど。
自分の心境を話せるのにはすっきりしたけども、どうしたらいいの?と言ったところは明確にならないしある程度の時間で電話は終わる。
下手すればこの電話の後自殺する人もいるのではなかろうか。というか僕は死にたい。
そういうシステムであり対応が間違っていないこともしっかりわかるけれどどうにもならないものはどうにもならないのである。
話してスッキリするような人や軽度の鬱(鬱に軽いとか重いとか決めるなよな)の方なら解決するかもしれない。
何もしないよりはマシだとは思うが、何に対しても劣等感を感じたりどうしようもない気持ちになるときは逆にかけないほうがいい気もする。あくまで人による。
自殺を考えていてまだ生きたい、誰かに話を聞いて欲しいと思う人はかけてみてはいかがだろうか。
期待をしすぎるのは当然良くないためほどほどの気持ちでかけてみることをおすすめする。ただそんな気持ちでかけれるならこんなに死のうと落ち込んでない。
要するに「話して解決するような状況で」「自分の状況を話せて」「知らない第三者に話を聞いて欲しい」人向けといったところだ。
状況を例えるなら「今から自殺しに樹海に行こうかな」と家で言っている段階か「今から死ぬ」と崖から飛び降りる寸前かぐらいの違いがあることをわかって欲しい。わかりにくい。ごめんなさい。
そういう感じです。僕は気持ちは特に変わらないどころかああこんな時間にこんなやつの話聞かされて大変だろうなこの人すごいなと思って劣等感を余計に感じました。あと人生振り返って人生に対して吐き気が止まりませんでした。
助けてくれ。
真っ当な人生を生きたかったなあ。
それでは。